僕たちは少しずつ大人の階段を上っている

今年1月、成人式に出席した際小学校時代の旧友たちと出会い当時の思い出話に花を咲かせた後LINEを交換した。

それから程なくして旧友の1人がせっかく再会したのだからみんなで飲みに行こうと誘われた。

みんながその意見に賛同した。僕もその例に漏れず賛同した。だが僕が発言するたびに会話は停滞した。

僕の発言を最後に2週間停滞したLINEグループを見て僕は”僕抜きで新しいグループを作りやがったな、なんて性格の悪い奴らだ”と思っていた。

しかしその後ミキサーにかけた玉ねぎみたいな細切れの会話が続き、成人式から3ヶ月後の4月に飲み会を行うことが決まった。性格が悪いのは僕だけだった。

 

4月上旬 僕たちは駅前の日高屋で待ち合わせをしていた。19時からの待ち合わせだったがバイトなどで忙しい人も多くその時間に集まったのは僕を含め6人中3人だけだった。

日高屋で旧友のS木とO野と合流して夕食を摂る。ラーメンが苦手な僕は中華屋でもそれを避けていたが、昼食に炒飯を食べていたため仕方なく主食にラーメンを選んだ。しかし苦手なラーメンの油っぽさはビールののど越しの良さにかき消され不味いと言った感想は一切浮かばなかった。大人になると好き嫌いが減るというのはこういうことだろうか。

 

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今回の主催であるS木は小学校時代は鉄面皮で性格も穏やかな男で大仏のような印象を受けていたが、数年ぶりに会ってみると背は平均以上に高く体の厚みも増していて大仏のような印象をさらに強めていた。

しかしS木は早々にビールを消費した後2杯目を注文し、「飲まなきゃやってられねぇよ」と吐き捨てた。堅そうな男の印象は一瞬で崩れ去った。そして弱冠20歳にしてアル中になってしまったのだろうか。

 

O野は当時の印象そのままに二十歳を迎えていた。

彼は小1の頃担任の先生に恋心を抱いており、付きまとうまではいかないものもその行為を激しくアピールしていた。

その事を突っ込んでみると「会う機会があるならば謝罪したい」と反省の弁を述べていた。当時と印象が変わらないと言ったが内面はたしかに成長しているらしかった。

 

食事をしながら2人と近況を話す。O野は小学校時代からの趣味である鉄道の話や最近野球観戦にハマっているという話しをしていた。

ツイッターでも積極的に活動しているらしくオフ会にも良く参加しているらしい。偶然にも私が以前参加したオフ会と同日、同じ場所でオフ会をしていたらしい。

S木はサークルでの愚痴を漏らしていた。なんでも新入生歓迎の会費がどうとか。彼の堅そうな印象にはそんな苦労も反映されているのかもしれない。

驚いたのが2人は今同じ大学の同学科に所属しているということだ。世間というものは本当に狭い。

 

2人に今でも親交がある事が分かったところに旧友Y口が登場。

Y口はバイト終わりで腹が減っていたらしくラーメンをすすりながらその日の日雇いバイトについて饒舌に話すという器用な真似をしていた。

 

彼は幼少期から重度のアトピーを患っていたが、今は完治とはいかないまでも随分と症状が和らいでいるようで肌が随分綺麗になっていた。

 

Y口がラーメンを食べ終わったところで旧友Y岸とM木から駅に着いたという連絡があったので飲みなおしもかねて居酒屋に移動。

 

Y岸は今回のメンバーでは唯一成人式で出会っていない人だ。僕も会うのは小学校卒業以来8年振りとなる。

居酒屋の前に行くと既にY岸と思わしき人物が佇んでいた。当時は地味でもないが別段目立つタイプでもなかった彼だが金髪オールバックという華麗なる変身を遂げていた。

そんな彼に対して我々4人は当時のまま根暗オーラを漂わせていたので傍から見たら数で上回れば勝てると思ったオタクがヤンキーに絡んでいるように見えたのかもしれない。

 

しかしパッと見派手な印象を受けたY岸だったがよく顔を見てみると頬がこけており目にも生気がなく人相が悪くなっていた。

 

こいつ薬でもやってるんじゃないか――声には出さないが4人ともそう考えていたと思う。

意を決して今何をしているのか聞いてみるとY岸は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、無だよ。無。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬宇宙の外側の話をしているのかと思ってしまった。

それとも危惧していた通り薬をやっていて向こうの世界に行ってしまったのか。はたまた宗教にハマり悟りを開いたとでも思い込んでいるのか。

20になったら詐欺やら宗教やらの話をよく聞くことになるとは言われていたがまさかこうも早く宗教勧誘をされるとは。Y岸に対し警戒心を強めていると彼はもう一言呟いた。

 

 

 

「就職も進学もしてないんだよ。」

 

 

 

要するに無職ということだった。紛らわしい事を言いやがって。

 

どうやら高校の頃病気を患い退学してしまったらしい。自分の状況を思い悩む時期もあったらしいが、無限スパイラルに陥ってもしかたないと開き直り、現在は病気もある程度よくなったこともあり趣味の音楽活動に熱を入れているとの事だった。

 

ただし底は脱したと言っても気にしているのか、はたまたプライドなのかは分からないが”無職””ニート”の2つのワードは絶対に発しなかった。

それを察したのか誰も彼の現在の状況を無職、ニートとは言わなかった。

当時傷に唾を付けて治す、パンイチで寝てるなどのデリカシーに欠ける言動で女子に煙たがられていたY口でさえその2つのワードは言わなかった。

学級会で全員発言のお題目が掲げられる中クラスで唯一発言をせずに顰蹙を買った僕でさえそれ以上は突っ込まなかった。

 

そんな話をしているとM木も到着。居酒屋に入る。注文をしようとすると珍しく年確を食らってしまい、身分証を持っていなかったY岸は酒を注文できなかったがその派手な見た目に反して酒はあまり飲めないとの事だったので店を変えずそのまま居座る事にした。メンバーで一番童顔である僕の所為で年確を食らったのではないと信じたい。

 

M木もバイト終わりなので本日何回目か分からないバイトの愚痴を聞くことになるのかと思いきや彼が現在抱える大きな悩みは炎上した動画に写ってしまったことらしい。M木自身が問題を起こしたわけではないので彼を晒す目的で動画が拡散されているとか叩かれてるとかそういった事はないらしいが、ともかく見る人が見れば自分だと分かってしまう映像が拡散されているのは嬉しい状況ではないらしい。

見かねた僕はM木に匿名掲示板で300人に叩かれた話をした。するとM木は

 

「いやそれは笑うわ。面白いから他の同級生連中にも拡散しとくな」と言った。

慰めようとしてるのになんなんだお前は殺すぞ。

 

まだ夕食を食べていないM木とY岸がしっかりと食事をする中、僕はフライドポテトをつまみに酒を大量に飲み10分に一度トイレに行く居酒屋式三角食いをキメていた。

 

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ウォッカレッドブル割り 初めてエナドリ飲んだ

 

二次会では彼女いる?俺はいない、俺もいないという心温まる会話が繰り広げられていた。というか誰も彼女はいなかった。

現在もすでに問題となっている少子化が10年後、今一度問題となっていたら半分は我々陰キャ大学生の責任なのでこの場で先に謝罪をしておく。

 

少子化で思い出したが私が小学校6年生だったときの担任の先生は美人で性格もスタイルも良かったが三十路になっても結婚していなかった。

ちなみに余談というか本題というか、今回集まった我々の共通点というのが”元6年2組”という事だった。というか今まで5人の事を”旧友”と表現していたが別段全員と仲が良かったわけではない。O野に至っては当時2回くらいしか話していないような気がする。

 

話を戻そう。我らが2組の担任浅井先生は美人で性格もスタイルも良いという話しをしたがただ一つ残念ところがあり、それは服装にあまり頓着していないという事だった。

職場で、それも多くの時間を小学生の前で過ごす教員は着飾る必要は無いのかもしれない。彼女は春から秋にかけてTシャツに下はジャージで過ごし、寒くなると上にジャージを羽織る。他の教員も年中似たような着回しであったがその中でも彼女の服装への意識の低さは群を抜いていた気がする。

他の教員が色や丈の僅かな長さ、合わせ方で服装に日々変化を付けていく中彼女のTシャツは常に光り輝くような白であったし、ジャージは日暮れの空のような紺であった。もちろん冬は全身日暮れ色になるだけだ。

 

大人になったら勝手に結婚するんだろうという勘違いは既に終わってはいたものの僕は浅井先生がなぜ結婚していないのか不思議で仕様がなかった。

この頃の僕は結婚するためには目に見えるもの以外の何かとか、運とかが必要な事を知らなかった。ましてや結婚しないという選択をする人がいるなんて考えもしていなかった。彼女がどれに当てはまるのかは知る由もないが彼女は彼女なりに幸せな人生を送っているのだろう。

 

全員ある程度酔ったので居酒屋を出る。”今年はまだ桜を見ていない”という鶴の一声により桜が咲いている近場の公園に移動。

この公園は小学校からの通学路に面しており放課後はよくここで遊んでいた。

またここでは下校中に一度だけ、どうみても堅気には見えない男と水商売風の女がベンチで乳繰り合っていたのを目撃したことがあった。まだ無邪気だった僕は”昼間からお盛んですなぁ”くらいにしか思っていなかったが今思えばそんな微笑ましいものではなかった事は想像に難くない。もしかすると生前彼を最後に見たのは僕だったのかもしれないと思うと少しだけ背筋が寒くなった。

ちなみに今は昼前に通り過ぎるとパナマ人がジャズをかけながら優雅な午後を過ごしている事が多い。魔窟かここは。

 

感傷に浸りつつみんなで昔の思い出を語り合った。

あんなことがあったとかこんなことがあったとか、地元中学進学組はあいつら付き合ってたとか、そんな他愛ない話に花を咲かせていた。

男女交際で思い出したがY岸は生意気にも小学校の時彼女がいた。仮に僕がタイムスリップしたとき真っ先にやる事はY岸に陰湿な嫌がらせをして、恋愛にトラウマを植え付けるくらいの別れ方をさせることだと思う。

ちなみに関係ないと思うけどY岸は誰よりも精通するのが早かった。

 

これはマジでなにも関係ありませんでしたね、はい。

 

思い出話は続く。

 

「よく窓割るやついたよな」

 

いたいた。月に1回くらい割ってたやつもいた気がする。

 

「唐澤 机にエルボーかまして肘脱臼してたよな」

 

してたしてた。しかも少年野球でピッチャーをやっていたのにも関わらず利き手の左手で、だ。

 

「エロ本探して公園のゴミ箱漁ってたよな」

 

いやそれは知らねぇな。混ぜろよ

 

「高校入学したくらいに6年2組で同窓会やったよな!」

 

だから知らねぇっての 混ぜろよ

決めた 今から同窓会の幹事の家に突撃して「魂のルフラン」を家の前で大音量で流す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それY岸が幹事やってたよなぁ~」

 

 

 

 

おいなんで呼ばねぇんだよY岸。お前の懐に片栗粉入れたビニールを忍ばせて警察に突き出してやろうか。

 

その後はあいつとは気が合って良く喋ってたとかあいつの事苦手だったとか当時の人間関係の話をしていた。意外だったのが僕と仲良かった女子を苦手に思っている人がいたりと女子との人間関係は十人十色だった。

 

話は弾み、結局日付を跨いだあたりで解散と相成った。エロ本を買ってこの公園に捨てようという僕が提案した大人の遊びは無事却下された。

 

 

 

大人になるという事はまだ分からない。だが当時を思い出していた僕たちの心はまるで小学生に戻ったかのように思えたが、みんな確実に子どもの頃より落ち着きや気遣いを獲得しており、確実な成長の後を感じさせた。

 

 

僕たちは少しずつではあるけれど 大人の階段を上っているのだ

 

 

 

 

翌日 酒の飲みすぎで腹を壊した僕はトイレに引きこもり、ケツから放たれたソレのおかげでトイレは異臭が充満していた。

それは奇しくも飲み会から帰ってきた父が入った後のトイレの臭いと一致していた。

 

大人になるという事は下痢の回数が増えるという事、ではないかもしれないがそれくらいの些細なことなのかもしれない。